472倍の市職員採用試験

大阪の吹田市で、事務職員採用試験が前倒しで実施。

募集人数の5人に対し、受験者数は2,362人。実に472倍という超超難関試験となった。

(といっても もちろん難易度は変わらないだろうから、100点からいかにミスらないかの戦いになるんだろうね。)


「より幅広い年齢層に雇用機会を提供するため」(人事課)、対象を59歳までとし、事実上年齢制限を撤廃。その結果、40代以上が応募者の31.6%を占めるなど、幅広い年代の受験者が押し寄せた。 

男女の区別は分けようよ

トイレマークを同じマークにすることが、男女平等の表現となる。

こんなピント外れなことを考えるのは、どこの神経質なフェミニスト女史か、と思いきや某市の男性市長だった。

※後日追記:『あれは「トイレ」のマークではなく「男トイレ」「女トイレ」のそれぞれのマーク。』というご指摘をstabuckyさんより頂きました。

男女共同参画」の視点から、トイレのマークに同一のデザインを採用してきた大府市が揺れている。男女の区別が付かず、迷う人が多いため。「分かりやすさ」の面から、現在建設が進む施設には、新しいマークを取り入れる方向で検討中だ。

絵柄の違いでヒステリックに男女差別を唱える人がいるのだろうか?

目が悪い人はどうでもいいのか?

男女差別と区別の違いも分からない人が制度を作る力を持つと、その中にいる人はいい迷惑なんだよねえ

 市役所のトイレのマークは男女とも緑色で、便座に人が座ったデザイン。その下に「男/おとこ/Men」などと表示して区別している。2000年に建設された時、業者が提案したデザインの中から選んだ。

 「女は赤でスカート」などの従来型のマークでは「区別が固定化して差別を生むことを懸念し、いっぺん同一にしてみようかと(踏み切った)」と久野孝保市長は振り返る。

ネイル検定とります

ネイリストってはやってるんでしょうか。娘がネイリストになろうか考えてるとのことで、理由を聞いたところ、、、

「友達がみんなやってるから」

おいおい、友達がやってるからって小学生じゃないんだから。
と思いつつ、そんなみんながやるほど流行るものなのかなぁ。だって資格も必要なんだろうし、お金もそれなりにかかるだろうし。という心配を察知してか

「これからネイル検定の資格もとるつもり」

だと。まぁ動機はなんにせよ、何かに打ち込むのはよいことです。応援してるぞ、がんばれ。

雷に打たれないには?金属を外せはウソ

ここ数日、異常なほどの雷です。特に今日はすごいですね。
私は都内在住ですが、これを書いている時点でピカピカ光まくってドカンドカン落ちてます。
さきほどは、落ちたら家壊れるだろうな、というほどの雷が数回落ちてます。


こういう日は、PCの電源、正確にはコンセントを抜いておいた方がいいといわれますね。
落雷による過電流が原因で、コンセントを伝ってPCが壊れる可能性があるためです。


さて、PCをやるのもどうかと思ったのでフリーペーパーをパラパラをめくっていると、まさにこんな毎日にうってつけの記事が。


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日本工業大学の超高電圧研究センターには人工的に雷を発生させる装置があり、それを使って様々な実験をしているとのこと。


そこでの実験によれば、


「雷が落ちやすいのは高いものや尖った物。身を低くしたり、避雷針のある屋内に逃げ込むのがベストです。
ちなみに『金属に落ちやすいから腕時計は外せ』は俗説
とにかく、問題は高さなんです。金属も人間の体も実験で落ちる確率は半々でした」


とのこと。これまでは雷の日に傘をさして歩いていると、鉄の骨組みめがけて落ちてこないかとヒヤヒヤしながら歩いていましたが、これで一安心というものでしょうか。
まわりに高い建物がたくさんあれば、大丈夫ってことですからね。よほど日頃の行いが悪くなければ・・・

周囲に自分より高い建物がなかったら、急いで建物に入るかほふく前進で進行しましょう。さもなくば自分が避雷針になってしまいます。


こちらも参考

ちなみに落雷関係で調べてみると、電話線は抜かなくてもいいみたいですね。
電話線は保安器と呼ばれる機器が過剰な電流が流れても、家の中に入ってくるのを防いでくれるようです。
また、落雷は保障等が効かないケースもあるようです。
もし壊れた場合には、有償修理になる可能性があります。
→なんくるないさーさんのエントリ




―以下余談
都内でも練馬区西東京市など北西エリアでは特に雷が落ちやすいそうです。

多摩方面から吹き込んだ風が高層ビルにぶつかると上昇気流が発生しやすくなり、地形的にも風が収束しやすいなど、積乱雲、つまり「かみなり雲」の発生条件が揃っているから、というのが理由だそう。練馬近いです・・・

エリートの憂鬱 (「女。京大生の日記。」)

「女。京大生の日記。」さんの記事が話題を呼んでいるようですね。

誰も読んでないでしょうが凡人のつぶやきを。


学歴とコミュニケーション能力の有無によって4つの類型を取り出してみよう。
 
A学歴もコミュニケーション能力もある。

B学歴は高いが、コミュニケーション能力が低い。

C学歴は低いが、コミュニケーション能力が高い。

D学歴もコミュニケーション能力も低い。


就職活動において個人の思い通りの結果を手にし、終身雇用が保証されない社会でありながらも自在に自らのキャリアを主体的に構築してける人々は以下のような順番にその可能性が高くなるのではないだろうか。

A>C>B>D

そして高学歴就職難民は、Bの類型に分類される人々だ。

これに対してのコメント。


AからDまでの分類の意味するところが分かりませぬ。その分類が適切ならば、学歴がある人は、あとはコミュニケーション能力さえ磨けばすべてがうまくいくということになりますが、現実はそんな単純なものではないかと。
おそらく就職できないエリート様は、上記の原因もあるのでしょうが、能力と企業(機関)が要求するもののズレを認識されていないからではないでしょうか。
そのずれを認識されなければ、あれもこれもできるんだから内定させてというのは、押し売りのセールスマンのようなものに見えます。まあ凡人の戯言ですが。

能力と企業(機関)が要求するもののズレ、というのは、自身のウリとする知識や能力と、企業側が求めているものが噛みあっていないということ。深くものを研究した人ほど、特定分野での自信は大きくなり、特別に主張したくもなるでしょう。

しかし、その結果まわりが見えなくなることもままあるのではないかと。ごく一部の例では、質問に対する答えを自分が主張したい一点に結び付けようとしてしまったり。

私が思う頭の良い人と言うのは「エリートでも就職できない人がいるのは社会に問題がある」というのが事実だとしても、その変えられざる環境の中で、最も有効な選択肢を見出すことができる人、と思うのです。情勢批判などせずね。

まあこれは頭の良し悪しとは別のところなのかもしれないけど。状況を把握して、合理的な決断をできるかどうかということだから。ただ頭が良いのならば、そういう判断も包括してできると思っているので。

例えば、同じ企業でも受かる人と受からない人がいて、その差分を研究するとかね。

一流の国立大学で落ちる人(つまり話題の焦点)と、私大出でも合格する人たちの違い、など。